ディシディア発売前から魔法が好きだ魔法が好きだと言ってきたが、好きだというか、どうも自分は魔法学に興味があるらしい。魔法学と一口に言っても魔法にも白黒時青裏などと種類があるし、世界=環境によって同じ魔法でも概念が変わる。そもそも魔法とは何か。哲学や文化学から見たときのそれぞれの世界における魔法の特徴をどう考えることができるか。その世界において魔法がどう形成されたか、どのように扱われているか、そういうことを考えるのが楽しい。今日の帰り道はずっとそんなことを考えていた。妄想がマニアック? 知っとるわ!!
おそらくこの魔法への興味はクロノの魔法王国の影響なのだと思うが、ここまで引きずってしまった以上もはやどうしようもない。
妄想を形にしたらざっと書きなぐるだけでおそろしい長文になったが、気にせず記事にしてしまおう。
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まず世界ごとの魔法の違い、これを考えるだけでも結構面白い。
ケフカの魔道の力、セフィロスのマテリア魔法は疑似魔法とカウントしてもよさそうだが、疑似魔法と一口に言っても世界ごとにだいぶ違う。ケフカのそれは限りなく真に近い疑だ。
アルティミシアが時魔法を得意しているのは、消えることなく長い時を経て継承されていく魔女の力の特性に拠るところが大きい気がするが、では魔女の力とは一体何か。
皇帝のあの、パラメキア流? の魔術は完全に魔法陣に依存して威力を高めているタイプだし。魔法陣をわざわざ描くということは、魔法の形成プロセスにおいて魔力の流れの確立を重視する、方角や力場を利用するということだ。夢とロマンがつまってる!
ではこれら世界による魔法の違いはいったいどこからくるのか。
文化的水準や哲学が魔法の形成に影響を与えているのではないだろうかと、みにみんは考えている。
つまりその世界、社会における概念をもとに魔法が形成されるという考え方である。
世界による魔法の差を考える上で、一番大きい概念は「死」だと思う。死を、たとえばガイアのように自然の人生の一部として受け入れるか、それともテラのように完全に忌避し不浄なものとして扱うかどうか、これだけでもだいぶ変わる。あとは「時」の流れか。
テラの魔法は、「終わり」を向かえないために存在すると言っていい。あの星の魔法は、肉体より精神を重要視し、時を刻む事を拒否する、強固で排他的なものだ。テラにおいて、水といえばその場に留まるもの、火とは燃え続けるもの、命とはそこにあり続けるもの。魔法を構成する上で重要な要素のひとつひとつに、時の流れという概念が存在していない。おそらくクジャ、というかテラ魔法の弱点は時魔法である。そもそも時魔法と言う概念が存在するのかどうかあの星は怪しい。
それだとジタンが魔法を使えない理由にも納得できる。ガイアの、水は流れ続けるもの、火とは燃え盛り消えるもの、命とはいずれ潰えるものだという概念の中で育った存在が、テラの魔法になじむとは思えない。
VIIIの世界においては、魔法の力はそれ自体が異質な存在だ。命を越えた時の力をその身に宿さない、いずれは朽ち果てるさだめの人間が、真魔法を扱うことができないのもうなずける。あの世界での魔法はそれ自体が時空という摂理に反発する力であり、同時に、時の流れとはまた別のひとつの摂理であるともいえる。要するに身に宿すだけで運命を変える力だ。概念自体が非常に重い。この環境をうむに至った、ハイン時代からの文化的波及や生死の概念については更なる研究が必要であると考えられる。
魔法は、時の流れに逆らうだけの能力を持つが、環境、社会、術者たちの動静によりその姿を変えていく。世界が姿を変えれば、魔法も変わっていってしまう。
逆にたぶん、セフィロスの世界では魔法がかなり古い形式で保存されているはずだ。マテリアというものは、ジェノバ時代からの古代種の知恵が星の知識として結晶化した存在なので、いわば魔法的な化石だ。こう表現すると、他の世界の存在を念頭に置いたうえでは、あの星のマテリア魔法がかなり魔法の変遷学的に重要かつ貴重な残存資料そのものであると思えるのだが、恐らくあの世界の魔法はあの世界(時代)のニーズに答えていないのだろう、あまり社会的に重要視されている様子がない。
セフィロスの世界は他の世界とはかなり異なる方向に進化していて、魔法学より物理学を、深い精神の探求よりも表面的な肉体の解剖を重視するなかで発達している。ほかの世界からすると完全に異質だ。つまりセフィロスのいた環境および彼の持っている「科学的」な知識というものは、ほかの世界からすると相当レアだと思う。量子力学や物理学をディシディアの世界に通ずるように考え直した上で、パラメキア魔術あたりとかけ合わせたらすごいのができるのではないか。ぜひ見たい。
VIの魔法の力は異質であり、魔法を扱う、魔素を宿す、すなわち魔の道に通じることそのものが魔道である。ケフカの魔法そのものは彼に付随していた力ではないが、元の力がほんものの魔道であるから、行使された魔法そのものは真魔法と言っていいはずだ。その魔を本来宿していた幻獣は、死や時といった人の抱える概念さえも超えた、それ自体が魔に近い一つの秩序的な存在であり、その力は計り知れない。帝国が魔道の力を求めた道理もわかるというもの。
かつ、おそらく、魔道の力をほかの器に移す、宿すといった「魔法の力を物理的に扱う技術」に関しては彼の世界がトップだ。よくも魔道の力をあれほどまでに制御したものだと思う。あやつりの輪とかあたたかいてざわりとか、チートだろ、すごいぞあれ!
だからマテリアの力を何倍にも拡大するとか、あれをもとに更に凶悪な魔道具を作るとか、ケフカなら絶対にできる。
哲学や文化波及の観点から魔法を見るだけでもこんなに楽しめるのだからやはり魔法ってすごい。死、時、ときたのだから次は空間について考えたいが、こちらはあまり資料がないのだよなあ。
生死観で考えればXが一番難しく考察のし甲斐があるのだが、あの世界に手を出すと5000字ではきかなくなるのでまたの機会と送ることにしよう。
というかXで文章書くと8割シーモアのことになるからな! あの世界は本当に魅力的だ、未だにシーモアやアーロンに回復魔法が効く理由をぐるぐると考えてしまう。幻光虫のはたらきおよび、幻光虫を扱う、支配する、活性化させるといった独自の魔法概念が発達しているに違いない。祈り子や召喚の概念しかり、黒や白魔法しかり、あの世界のすべては魔法に満ちており、それを幻光虫という考え方が支配しており、逆に幻光虫を魔法が支配していると言い変えることもでき、それらすべて、あの世界のすべてともっとも密接に絡んでいるのがシーモアだ。彼はスピラのすべて、いわば真理に通じており、スピラのなにもかもをその身に秘めている。ほらな8割シーモアのことになる! この辺にしておこう。
あとはやはり「新しい技術」、すなわち、飛空挺や機械といった技術との魔法の兼ね合いの問題だ。
IIの世界では皇帝が世界征服のついでにその時流を正面からちゃぶ台返ししようと試みているが、使い手の限られる魔法を古き技、一般的で広く普及させやすい機械を新しい技術と位置付ける考えは、XやXIIに通じるところがある。XIIでは機械と魔法とが密接に絡んでおり、魔素ミストの中で共存することに成功しているが、IIやXの世界の概念、これも気になる。もっともIIはどっかのマティウスが大暴れしているおかげでなかなかそういった面が表に出てくることがないが、ミシディアの魔道士たちはいろいろと未来のことも考えているのだ。
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長々と書いたが自分の意見はこうだ。
時の流れを支配した魔女魔法と、時の流れを放棄したテラ魔法とを合わせ、魔法陣魔法で調和を図れば、最高の魔法技術が誕生すると思う。
同様に、マテリアとケフカの魔道具技術を合わせればとんでもないものができあがる、これは妄想や予想と言うより当然の帰結ではないか。無印の星くずのロッドなんて目じゃない。
ディシディア世界には、それぞれの世界が発達させてきた知識(魔法学に限らない)に精通しまくった連中が顔を揃えており、まあいくら元の世界の記憶が欠落すると言っても、不自由なく実戦が行える程度には概念的な知識を残しているのだろう。
つまりこんなにすごい連中が集まっているんだから、ちゃんとカオス側の駒で協力したら神竜倒せるんじゃないだろうか……
と、思うんだが、最大の問題は、やつらの頭に「協力」という概念がまったく存在していないことだ。こればかりはどうしようもない。いくらカオス子にだって、不得手なこと、できないことはある。その最たるものが「協力」だろう。言うまでもなくここでいう協力とはアシスト攻撃とかそういう表面的なものではなくて、互いに自分の持つ知識をさらけ出したうえで、自分だけでなく相手の利益も考え力を尽くすということである。……うん、無理だ。絶対無理だ。
見たいんだけどなあ。究極の幻想の究極魔法。きっとすごいのできると、思うんだけどなあ。