とある事情で、親のパソコンを利用し作業。インターネットで動画をよく見る母のために選んだ、内臓スピーカーがなかなかの高音質を誇る、東芝のノートパソコンだ。こっそりぶちこんでおいたFF13のサントラを手軽な音質で聴きながら、画面右半分ではDropboxで愛しのカオス子たちのSSのスライドショーを展開し、残りの左半分で作業を行う。うーむ、すばらしいなあ、これ。
やはりSSは無加工・無修正に限ると思う。その場にあるエフェクトとポリゴンを使っていかに思い通りの、あるいは予想外の画面を構成するか。なかなか奥が深くて楽しいものだ。
さて、木曜日、1月6日は邦楽サークルのクリスマスコンパだった。3時間飲み放題のしゃぶしゃぶ店に集い、みなが持ち寄ったプレゼント(予めくじで誰にプレゼントをあげるか決めてあった)を当人に配り、クリスマスを祝うという我がサークルの恒例行事だ。
まあ、本来であればもっと前、具体的には去年のうちに開かれるべきイベントである。それがどうしてこの時期にと言えば、そりゃあもちろん、昨年末に我がサークルを震撼させた「インフルエンザ・パンデミック」の影響である。12月27日に開催される予定だったクリスマスコンパは、参加可能人数が当初の半分という非常事態になったおかげで、新年へと持ち越しになったのである。
自分は、仲の良い後輩(ディシディアを貸してやったら、ハマってくれたようでなによりだ)にプレゼントをあげることになっていた。JFで入手したデュオデシムのポストカードと、撮りためた皇帝のSSを印刷したものをセットにしてプレゼントとして送りつけた。半分嫌がらせに近いかなとも思ったが、どうやら喜んでもらえたようでなによりだ。
仲間たちと食べるしゃぶしゃぶも、本当においしかった。自分の座ったテーブルの面子は大食らいが多く、肉ももやしもあっという間に消えていったのだが、隣のテーブルは酒飲みばかりで、肉が煮立っているのに飲み放題のワインを注文して酔っぱらうようなありさま。もちろん我らがテーブルは、その酒飲みたちから肉を奪ってきた。今度からもう少しバランスの良い席分けをしたほうがいいのではないかと思った。
その後場所を変えてボウリング。自分はサークルの仲間たちと何度かボウリングに行ったことがあるのだが、そのたびに右手の親指の爪を割っていた。親指ちゅっちゅしながら乗り越えようかと思っていたら、どうやら投げ方に問題があったらしいと後輩が教えてくれた。身体を動かすのは相変わらず苦手だ。というか昔から、自分がどういうふうに動いているのか自覚できない。高校の時の体育のダンスで、欠席少なくまじめに授業を受けた結果、最低の評価を記録したこともある。「ボウリングの球を投げ終えた後の片足の上がりかた、角度がおかしい」とは前に言われたことがあるが、いったいどんなんなってんだろう。
三次会のカラオケに行くころには、人数は自分を含めて3人になっていた。仲の良い後輩二人の終電の時間を考え、当初は一時間ほど歌ってすぐ解散する心づもりであったのだが、どういうわけかオールすることになり、3人で盛り上がった。
20曲以上連続でアリプロジェクトを入れた、という時点でとんでもないテンションだったことは伝わると思う。後輩がナルシス・ノワールでとんでもないカロリー消費量をたたき出した。「こいつは馬鹿なんだな」と自分の事を棚にあげて思った。
石の記憶(Distant World)が入っていて涙が出た。カラオケで聞いても相変わらず神曲だと思った。歌いこなせないが。
帰宅するころには5時をとうに過ぎていた。恐ろしく冷えた空気を切り裂きながら自転車をこぐ合間、ふと空を見上げると満天の星空だった。思わず家の前に自転車を止め、しばらくぼうっと空を眺めた。
金星は目を疑うほどにまばゆく強く輝いており、頭上には北斗七星と、その先にほのかに輝く北極星も見えた。東京ではめったに見られぬほどの美しい星がきらきらといくつも光っていた。名も知らぬ星を見上げながらふと視線をめぐらせた先で、小さな筋が一瞬きらめいてすぐに消えた。驚いて目を凝らしても、そこにはもうなにもなかった。だがあんな不自然な幻や目の錯覚が起きるはずもないし、あのきれいな光は間違いない、流れ星だった。
あっという間に消えてしまったし、改めて星に願うようなこともない。それでも、あのように美しいものを見られただけで満足した。生まれて初めてだったんだ、流れ星見たのは。それも流星群などではなくて、普通の夜空で見られるだなんて、夢にも思わなかった。幸せだ。
ちょっと「はやぶさ」を思い出した。
家に帰ってからテレビをつけたら、「今朝はこの冬最高の冷え込みを記録しました、東京の気温は1.7度まで下がりました」とか言われた。
そこまでの寒さのなかで星を見上げていた自覚はなかったのだが。
クジャの魔法もきっとあの光のように美しいんだろうなあ。